【シグナス冒険譚】愛知から宮城へ列島縦断ツーリング【復路編①〈登米〜茨城〉】

シグナス
【シグナス冒険譚】愛知から宮城へ列島縦断ツーリング【登米市滞在編】
愛知から登米市まで759km。18時間以上かかり駆け抜け無事に目的地に到着した。大学時代の知人が住むこの街に。 2021.04.30 21:30〜 ささやかな宴会 およそ12年ぶりの再会、しかし12年前は数分会話した程度。食事をともにするの...

18時間にも満たない、往路の移動時間よりも短い滞在時間ではあったが知人との再会という目的を果たしたその意義は大きい。

2021.05.01 14:43〜 出発

行きと同じ道ではつまらないので帰りは違う道から帰ることに。まずは国道346号を南下し松島方面へ。怪しい雲行きの中、シグナスを走らせていく。

もうすぐ松島といった辺りで案の定雨が降ってきた。帰りはのんびり写真でも撮りながらと思っていたのがこれでは写真どころではない。折角の日本三景、松島の景色を写真に収めること叶わず。脳裏に焼き付けるのみとなってしまった。その後国道45号から県道23号、10号へとひたすら海側の道を進んでいった。

仙台空港の横を通り過ぎ、ひたすら進んでいった。信号がほぼない道がひたすら続いていた。

亘理町で4度目の給油。支払金額が777円とゾロ目をゲット。これがパチンコならば大喜びなのだが。

給油したあともひたすらに海沿いに。福島県に入り浜街道と呼ばれる道を進んでいく。

このあたりは例の大震災の時に津波の被害があった地域である。至る所に看板が設置されていた。しかし、その看板以外にそれを思わせるモノは見当たらない。震災遺構の学校があった位しか走っている限りでは分からなかった。

2021.05.01 18:21〜 浪江町

そのまま浜街道を進み浪江町に入った。ニュースなどで見覚えのある地名である。このまま南下して行けば双葉町、大熊町。例の原発がすぐそこにある。どこまで近づくことが出来るのか、またこの目で見ることを出来るのか知りたくなり、好奇心にかられシグナスを走らせた。

この辺りから次第に周囲の雰囲気が変わっていった。そこに至るまでは津波被害を受けたとはいえ道路は整然としており周りも田んぼや畑が並んでいたが、原発に近づくにつれてその風景が崩れて行く。

瓦の上に何か物が散らかった民家が1軒。さらに進むとフェンスで区切られた場所になにかが詰められたフレコンが積み上げられていた。さらにその傍らに線量計…いま福島に居るんだと嫌でも実感させられた。震災ガレキと思われる物が積み上げられている場所も見かけた。

そんな時にイノシシが1頭、歩道に居た。そのイノシシは何故か歩道のフェンスに頭を打ち付けていた。動画か写真でも撮ろうかと一瞬思ったが、すでに一刻も早くこの場所から立ち去りたい気持の方が強くなっていたので立ち止まることはなかった。

道路の舗装が途切れ、この先に道はあるのかと不安になった辺りでゲートが目の前に現れた。どうもここから先は立入禁止らしい。止む無くUターンし西の方へ、国道6号を目指していった。

周囲はだいぶ暗くなっていた。国道6号に出てホッと一息ついたのも束の間、国道沿いでこそ福島の現実をまざまざと見せつけられた。

帰還困難区域 である。

帰還困難区域

 放射線量が非常に高いレベルにあることから、バリケードなど物理的な防護措置を実施し、避難を求めている区域。

ふくしま復興ステーション 避難指示区域の状況より

下調べをろくにせず予備知識などなく訪れてしまったがどうもヤバい地域らしい。国道6号沿いには民家や店舗などがチラホラ見受けられたがどれも人の気配はない。もちろん灯りもついていない。ゴーストタウンである。建物に立ち入りできないようにゲートも設けられていた。

ウマをかませホイールを取られた車。地震で倒壊しそのままと思われる建物。元セブンイレブンと思われる看板を剥ぎ取られた店舗など…軽い気持ちで来るべきではない地域であると悟った。

給油で止まってから2時間近く経過していたのでそろそろ休憩を、と思ってもコンビニがない。この帰還困難区域を抜けるまでは。真夜中の山間部森の中よりも、灯りのついていない街中は自分の恐怖心をくすぐるのには充分な演出であった。恐らくこの非日常感が原因であろう。

国道6号に出てから20km程走り、楢葉町のコンビニで一息つくことができた。菓子パンを1つ食べタバコに火をつけ、途端にたまらなく人恋しくなり学生時代の知人に電話をかけた。登米市民とは別の知人にである。無事に繋がった。なんでも今は横浜ではなく東京に住んでいるらしい。しかもちょうど2日の午後が空いているとのこと。急遽帰りにその知人と顔を合わせることとなった。

登米市民の知人(以後知人A)と会ったのは12年ぶりくらいであったが東京在住の知人(以後知人B)と会うのも10年ぶりくらいである。知人A、Bともに学生時代は仲良くさせてもらっていた。一方的な思い込みの可能性も否定は出来ないが。電話している際に「知らない番号から掛かってきてびっくりした」と言われたことが妙に引っ掛かる。

何はともあれ新たな目的が出来た。翌日の午後まで時間は充分にあるが少しでも移動しておきたいので茨城の水戸辺りで夜を明かすことに決めた。

ひたすら国道6号を走り福島県内を南下して行く。もはやすっかり夜になり景色もクソもない。ただ走るのみである。いわき市に入り信号のないバイパス区間を走る頃には雨が降っていた。小雨ではない。それなりに強い雨だ。走っているからこそ余計に強く感じた。

雨の中、神経を尖らせながらシグナスを走らせて行った。ワンミスが命取りになりかねない。無事にバイパスを走り抜け茨城県内に入った頃には雨はだいぶ弱まった。と、思いきや今度は風が強くなってきた。右から左から、強烈な風が吹き付ける。125ccの軽い車体を揺さぶるのには充分な風だ。

右に左に、風に揺さぶられるシグナスを必死に制しながら走り、日立市内で5度目の給油を終えその後コンビニで小休止。またしても菓子パンで小腹を満たし温かいコーヒーで冷えた身体を温めつつ寝床を探した。眠気や肉体的な疲れはそれほどではなかったが、精神的な疲れが見え隠れしていた。この日の夜は水戸駅辺りのマンガ喫茶で夜を明かすことに決めシグナスと共に再び走り出した。

23時頃だっただろうか、水戸市内のマンガ喫茶に到着し入店手続きを済ませシャワーを浴び、マンガを読む気力もなくそのまま眠りこけてしまった。到着時の時間を記録する余裕すらなかった…

あとがき:走行データ(復路 登米〜水戸)

出発時ODO=29,686km 到着時ODO=30,005km

総走行距離=319km

出発時刻=14:43 到着時刻=23時頃

経過時間=約8時間17分

休憩回数=2回 給油回数=2回

推定走行時間=約7時間(休憩30分×2、給油10分×2で計算)

つづく

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