【シグナス冒険譚】愛知から宮城へ列島縦断ツーリング【往路編】

シグナス

計画変更

4/29、出発予定日の前日。GWということもありもしかしたらと思い上越家の営業日を調べてみたら4/30はまさかの休業日。大幅に予定が狂ってしまった。現地に行って休業を目の当たりにするよりはだいぶマシではあるが。

上越家が休みとなるとルートにも影響が出てくる。わざわざ新潟を抜ける必要がなくなるからだ。しかも日本海側の天気は雨予報。家系ラーメンの為ならば雨だろうと行かない手はないが。もはや日本海側から北上する必要性はないに等しい。

当初は愛知→長野→上越と北上し海沿いに鶴岡の辺りまで行きそこから東に向かうルートを予定していたが、雨を避けるためになるべく東寄りを進むことに決めた。

時間的にはの新潟廻りのほうが早いみたいだが距離的には栃木・群馬を抜けて北上していくルートの方が30kmほど短くなる。しかもこのルートなら運が良ければ雨に打たれることもなくなりそうだ。塩尻以降の給油ポイントはその都度次の場所を調べて給油していくことにした。

出発前夜

出発前日、4/29は終日雨(たしか)。雨の中仕事へ向かい雨の中仕事を終え雨の中帰ってきた。予報では日付が変わる前には止むことになっていた(たしか)。

シグナスの装備や整備などは1週間くらいかけて駆け足ながらなんとか終わらせたが、身の回りの準備は全くと言っていいほどに終わっていない。必要な物だけに絞らなければ積載量を越えてしまう。重量ではなく物理的に。

メットインの容量は普段から使っているので分かっているはずなのに思っているよりも小さく思うようにモノが入らない。いざという時のための工具一式とSD15、レンズ3本、充電器やコード程度で一杯になってしまった。今思えばカメラは要らなかったと言えなくもない。バッグのサイズの関係でカメラからレンズを外した状態で収納しているため、ただでさえ出すのが面倒なのに殊更に面倒だからである。

着替えなど身の回りのモノはリュックに入れ背負って行くことにした。何泊するかは未定ではあるがひとまず肌着下着を3セット、歯磨きセット、お気に入りのシャンプーと保湿剤を百均で買ってきた容器に移し替えて携帯。重量配分的な観点でも理に適っていたと言える。工具やカメラなど重たいものはメットインに。着替えなど軽いものはリュックに。さらには雨に降られ濡れる恐れもあるので最善な選択であったと言える。

19時頃に支度を終え寝る準備が整い床についたが何せこれから始まる長旅、久しぶりに顔を合わせる知人のことなどを考えると気が高ぶり中々寝付けそうにない。さらには眠りを妨げるかのように騒がしい家族たち。普段からただでさえ騒がしいが自分が独りで出掛けることに対する嫌がらせかいつも以上に騒がしく感じた。

2021.4.30 02:44出発

何時しか眠りにつき日付が変わり1時頃に目覚めた。いつもの朝のように食事やトイレを済ませ、1度では運びきれない荷物をシグナスへと運ぶ。着替えも済ませ一服を終え家族や犬たちに今生の別れを告げ家を出た。

2時44分28927km、宮城県は登米市に向け出発。

東浦の山道を抜けて大府、豊明へと走った。道を考えるのが面倒になって結局はナビ通りに走って行くことに。豊明を抜け東郷、みよしに入る頃には既に尻が悲鳴をあげ始めていた。まだ1時間も走ってはいないのに。

豊田の市街地を避け北側を横切るルートを通って国道419号に出た。あとはしばらく一本道である。

出発から1時間弱経過。旧小原村のファミリマートに立ち寄った。尻のことを考え1時間おきに休憩一服しようと当初は考えていたためだ。まだ食事したばかりなので腹は減っておらず灰皿のみ拝借。タバコをふかしているとオーナーと思しき人物が外に出てきて話しかけてきた。

「これからお出かけですか」

宮城まで、と答えたら当然驚かれた。誰が聞いても驚くであろう。その距離も然ることながら高速も乗れない125ccのバイクである。その後適当に会話を交わしファミリーマートを後にした。

東濃なんじゃもんじゃ街道などを走り抜け国道19号へ。ここからはしばらく、だいぶしばらく道なりである。お便所休憩、食事休憩をはさみ塩尻市へ。

塩尻市内で1度目の給油。普段はリッター辺り30kmそこそこしか走らないためかなり驚いた。しかしおかげでだいぶ余裕を持って走れる。

国道19号から20号へ。この時は既に明るくなっていて天気も良く峠を越えたあたりから観える諏訪湖が非常に美しかった。時間が無いため立ち寄りはしなかったが機会があれば是非行きたいところである。岡谷ICを越え国道142号、和田峠へと向かった。大型トラックならば有料のトンネルを抜け無ければならないところだがこちらは125ccのバイクである。法が許すならば歩道ほどの道幅でも余裕だ。躊躇わずに旧道を走り抜けた。大型トラックが走るべき道でないことも確認できた。

和田峠の下りをひとしきり堪能したあとコンビニで小休止。佐久市内を抜け国道18号へ。軽井沢で軽く渋滞にはまり碓氷峠を下った。

前橋の市街地を抜けた辺りで食事休憩。5度目の休憩である。前橋市内ではやたらと何度も曲がるようGoogleマップのナビに案内されどこを走っていたのかすら記憶にはない。

ロケーション履歴によるとこのように走っていたらしい。Googleさんの情報収集力の恐ろしさを痛感した。個々人の肛門の皺の数まで把握していそうな勢いである。

休憩を終えまたしてもナビ頼りに進んでいった。途中でヤマトホームコンビニエンスのトラックの後ろに付き、山道を抜けて国道122号に出た。ひたすら山間部を川沿いに栃木日光方面に向かう道である。

先ほど休憩したばかりではあるが眠気には勝てずたまらず小休止。

群馬県みどり市の草木湖、そこの道の駅に停まり少し眠気を覚ました。景色が良いからか道がいいからか、バイクの台数が多かった。道の駅に停まっていた横浜ナンバーの車のそばにロードバイクに乗った若者が2人居た。わざわざ横浜から来るほどの人気のスポットなのだろうか。

長いトンネルを抜けそろそろ給油しなきゃと焦り始めた辺りでちょうどスタンドを見つけて2度目の給油。気付けば出発から400km超走り往路の半分以上は過ぎたことになる。しかし残りは321km。名古屋〜横浜間と同等の距離がまだ残っている。先はまだまだ長い。

給油を終え再び国道122号。日光東照宮まで続いている。言わずとしれた徳川家康が祀られている神社だ。徳川家康と言う人物は土地柄かその影響力の大きさからか、名前を見聞きする機会が多い。復路で通過する箇所ではあるが静岡県の「御殿場」。その地名の由来が徳川家康絡みのようだ。

地名

平安時代に伊勢神宮の荘園(大沼鮎沢御厨)があったことから、現在の御殿場市、小山町、および裾野市の一部は「御厨」と呼ばれた。

1616年に亡くなった徳川家康の遺体を久能山東照宮から日光東照宮へ移送する際に仮の御殿を建てて、遺体を安置したところから「御殿場」という地名は生まれた。御殿の位置は御殿場高校そばの吾妻神社付近だったとされている。御殿建設の際に各地から職人が集められ、御殿場市御殿場付近の町「御殿新村(御殿場村)」が形成された。

御殿場市 – Wikipedia 地名より

そんな日光東照宮を通り過ぎ、ナビ通りに走り国道4号に出た。あとはひたすら北上するだけであるが脇道に反れたり国道に戻ったりをナビに従い繰り返した。途中雨がパラついていたが一心不乱に走り、気付いたら郡山市を通過していた。

先の給油から3時間弱、一気に駆け抜けた。しかし不思議と疲れはない。空腹や便意や尻の痛みがなければいくらでも走れそうな勢いである。

再び国道4号→脇道→国道4号と進み3度目の給油。およそ200kmおきに給油してきたので600kmは走ったことになる。福島県国見町、あと少しで宮城県だ。一時的に東北道と並走する区間があり見覚えのある景色が広がっていた。東北道は何度か走ったことがある。

さらに国道4号を北上し宮城県に突入。県道8号を曲がり石巻市方面へ。青看板にはまだ登米市の文字が出てこない。少々不安にかられた。

山の中をウネウネと走り国道346号へ。地元の車のペースの速さに驚いた。鹿島台のコンビニに停まり、もうすぐ着くと連絡をいれつつ一服。残りの28kmなんぞは今まで走ってきた距離と比べたら鼻クソみたいなものである。すでに出発から700km以上走っている。

2020.04.30 21:18登米市到着

21時18分、無事に待ち合わせの場所に到着。知人に温かく迎え入れられた。結局、『登米』の文字は登米市内に入るまで見ることはなかった。

あとがき:走行データ(往路 阿久比〜登米)

出発時ODO=28,927km 到着時ODO=29,686km

総走行距離=759km

出発時刻=02:44 到着時刻=21:18

経過時間=18時間34分

休憩回数=8回 給油回数=3回

推定走行時間=16時間44分(休憩、給油を10分で計算)

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