愛知から登米市まで759km。18時間以上かかり駆け抜け無事に目的地に到着した。大学時代の知人が住むこの街に。
2021.04.30 21:30〜 ささやかな宴会
およそ12年ぶりの再会、しかし12年前は数分会話した程度。食事をともにするのは約20年ぶりである。朝まで酒を飲み明かすつもりで訪れたが病気のことを話してしまったため心配され缶ビール1本に留めることになってしまった。ツマミには手作りピザと枝豆、フライドポテト。ちびちびと飲んでいたため温くなってしまったが久しぶりのビールを堪能した。
長時間走ってきたとは思えないほどに元気で眠気もそれほどなく、先に知人がギブアップして眠ってしまったほどだ。日付が変わり2時頃に床についた。起きてから25時間ほど経過していた。
2021.05.01 06:00〜 起床
朝6時過ぎ、何故か目があいた。せっかくSD15を連れてきたので小洒落た知人の部屋を無断で撮影しまくった。なんでもDIYで家具を作っているらしい。
右側にあるキッチンカウンター、リュックが置かれているイスも手作りのようだ。
パソコンを載せる台やその奥の棚も見るからに既製品ではない、ただならぬ雰囲気が漂っている。
元々は事務所として使われていた部屋をセルフリフォームしたようで、天井のパネルを剥がして配線を撤去。H鋼が剥き出しになっているが違和感はない。
その知人のセンスの賜物なのか、高いレベルで調和が取れている。
壁に飾られた謎の絵画も然り。
無造作に置かれた時計と電卓でさえも。
美的センスの欠片も持ち合わせていない自分には到底表現できそうにない空間を作り出している。
ざっと撮影を終え7時頃、満足したのか再び眠気が押し寄せ眠りについた。
2021.05.01 10:27〜 地震
10時頃に知人が起き、自分もつられて目が覚めた。遅めの朝食をご馳走になり、今日はこれからどうしようかと話していたその時、大地が揺れ動いた。
揺れ始めると同時に携帯のアラームが鳴り響く。もう少し早く教えてくれなければ意味がないのだが…
今まで経験したことのない揺れである。テレビや棚が倒れぬよう抑えるので精一杯であった。今思えばその揺れている様子を動画におさめておくべきだったと後悔している。
テレビを見て確認すると登米市付近は震度5弱だった。建物の上階ということもあり殊更に揺れが激しかったので体感で5強か6くらいだったのではないだろうか。津波の心配もなく、被害らしい被害もなくホッと一安心。予てより覗いてみたかった知人のガレージにお邪魔することに。
2021.05.01 11:15〜 ガレージ訪問
というのもその知人はYouTubeに動画を上げていて、その中のガレージを片付けして云々という動画を拝見し是非一度覗いてみたいと思っていたからだ。
ALL GRAGE R.K WORKS というチャンネル名で活動している。三千人超の登録者がおり収益化もしているようだ。登録者数十人のわが弱小チャンネルもあやかりたいものだ。
現在はジムニーのエンジンをバラしてオーバーホール中のようだ。
バルブのすり合わせに苦戦しているのだとか。
オーバーヒートしたエンジンのため、ガスケットのシールが抜けてしまっている。
動画でレストア、カスタム内容を紹介されていたセローは倉庫の片隅でホコリや木クズを被り放置されていた。
こちらのイスも動画で作成の様子が紹介されていたが尻を置くスペースすらなくなってしまっていた。
ホイールを繋ぎ合わせたこのストーブも手作りのようだ。
このタイヤレバーも。左奥に映っている棚も動画で紹介されていたツールキャビネットである。
自分もDIYが好きな方ではあるがその次元の違いを痛感してしまう。家具なんぞとてもじゃないが作れはしない。せいぜい段ボールを切って繋げ合わせる程度のモノしかできない。道具が、工具があればとも思わなくはないが創造力が乏しいので二番煎じ三番煎じで人の真似をするのが関の山である。
1時間程撮影をしながら過ごしていただろうか、小腹が空いてきたので昼食を食べに行くことにした。
2021.05.01 13:00〜 昼食
せっかく宮城に来たので当地でしか味わえないモノを、ということで郷土料理の店『あらい』を訪れた。地元の人間はまず行かない店らしい。
昼飯時なのに空いていた。ちょうど入れ替わりで客が出ていったので貸し切り状態だ。昨今の世情を考慮すれば致し方ないとも言える。飲食や観光絡みの業種はさぞ大変であろう。
少しでも胃腸に優しいものをという配慮で油麩丼とはっと汁を注文した。最初知人から聞いたときは訛のせいか『油』うどんと勘違いしてしまったが『油麩』丼である。麩を油で揚げた登米の特産品である。
その見た目はカツ丼に似ている。事実、肉を食べれない人のために、肉の代わりに油麩を使ったのがルーツのようだ。
こちらは『はっと汁』。小麦粉を練って薄く伸ばした塊が『はっと』だ。味噌汁のようなモノを想像していたがラーメンのスープに近いものだった。
この『油麩丼』と『はっと汁』、肉っ気がないので子供や若者には物足りなく感じるかもしれないが、もはや若くもなんともない、病気を抱える自分にとっては充分なご馳走である。毎日でも食べたくなるような味だった。
2021.05.01 14:43〜 復路へ
約12年ぶりの再会を果たし約20年ぶりに酒を酌み交わし、ガレージも訪問し土地の料理もいただきオマケに地震まで体験して目的は果たしたと言えるだろう。
次に会うのはいつだろうか、また10年後くらいだろうか。そんな冗談を交わしつつ根が生える前に出発することにした。往路では内陸部を通ってきたので帰りは太平洋側を、出来るだけ海を眺めながら帰っていくことにした。
つづく
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